今や芸能界の重鎮として君臨する有吉弘行さん。
現在はレギュラー番組11本、推定年収5億円とも言われる大成功を収めています。
しかし、彼の過去を紐解くと、想像を絶する苦難の日々が待っていました。
今回は、有吉弘行さんの波乱万丈な人生を追いながら、彼がどのようにして奇跡の復活を遂げたのか、その秘話に に迫ります。
猿岩石時代の有吉弘行の栄光と突然の転落
有吉弘行さんの芸能界デビューは、1994年に結成したお笑いコンビ「猿岩石」でした。
相方の森脇和成さんとともに、当時の人気番組『進め!電波少年』に出演し、一躍時の人となります。
1996年、ユーラシア大陸横断ヒッチハイクという過酷な企画で大ブレイク。
190日間で約2.2万kmを移動するという壮大な旅は、社会現象にまでなりました。
帰国後、猿岩石はシングル「白い雲のように」をリリース。
驚くべきことに、このシングルはミリオンセラーを記録します笑い芸人としてだけでなく、歌手としても成功を収めたのです。
しかし、この栄光は長くは続きませんでした。
1998年頃からブームが終焉し、2004年にはついにコンビ解散。
有吉弘行さんの人生は、ここから大きく下降線を辿ることになります。
月収0円時代の苦悩と借金生活の過去

コンビ解散後、有吉弘行さんは芸能界から干される日々を経験します。
かつては月収2000万円を稼いでいた彼が、突如として月収0円の生活に。
さらに追い打ちをかけるように、600万円を超える借金を抱えることになりました。
この時期、有吉さんは生活のためにアルバイトをしながら、芸能活動を細々と続けていました。
家賃の滞納や、食事を1日1食に減らすなど、極限の生活を強いられたといいます。
「落ち目の芸人」として扱われる屈辱も味わいました。
しかし、有吉さんはこの苦難の時期を「自分を見つめ直す貴重な時間だった」と後に振り返っています。
この8年間の苦労が、後の復活の原動力になったと言えるでしょう。
苦労したからこそ今の成功へ繋がるマインドが培われたのでしょう。
毒舌キャラで復活!V字回復の秘訣

2007年、有吉弘行さんは”毒舌キャラ”として再ブレイクを果たします。
特に『アメトーーク!』などの番組で披露した”あだ名芸”が大きな反響を呼びました。
なぜ、有吉さんの毒舌が人々の心を掴んだのでしょうか?
それは、彼の発言に裏表がなく、的確な観察眼に基づいていたからです。
また、自身の失敗経験から来る共感力も、視聴者の心を掴む要因となりました。
V字回復を支えたのは、有吉の芸人としての才能だけではありません。
スタッフへの神対応など、現場での評判の良さも大きな要因でした。
どん底を経験したからこそ、周囲への感謝の気持ちを忘れない姿勢が、多くの仕事につながったのです。
自分の在り方次第で人生が変わっていく。
この有吉さんの人生は過去の経験があったからこその今であって、すべては自分の在り方次第だなと考えさせられますね。
2021年4月1日には、フリーアナウンサーの夏目三久と「エイプリルフール婚」を発表。
結婚を機に、毒舌キャラの裏にある優しい一面も垣間見えるようになりました。
人間としての魅力にさらに深みが滲み出てますね。
まとめ
有吉弘行さんの人生は、まさに波乱万丈そのものでした。
栄光から転落、そして奇跡の復活。この経験が、現在の彼の強さと魅力を作り上げたと言えるでしょう。
毒舌キャラでありながら多くの人に愛される理由は、彼の挫折経験と裏表のない人柄にあります。
どん底を知っているからこそ、現在の成功を謙虚に受け止め、常に努力を怠らない姿勢が、多くのファンの心を掴んでいるのです。
有吉弘行さんの復活劇は、諦めなければ必ず道は開けるという希望を私たちに与えてくれます。
彼の今後の活躍にも、引き続き注目していきたいですね!
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