中村獅童の学歴は明星学園の一貫校!自由な校風で育った学生時代

中村獅童さんは、1972年9月14日に東京都で生まれました。
祖父は昭和の名女形として知られる三代目中村時蔵で、歌舞伎の名門・小川家の血筋を引く家系に生まれています。
しかし、父親の初代中村獅童が早くに歌舞伎界を離れて会社員になっていたため、梨園の中では「後ろ盾がない」という特殊な立場でした。
そんな中村獅童さんが通ったのは、東京都にある私立の明星学園です。
小学校から高校まで一貫して明星学園に在籍し、1979年に小学校入学、1991年に高校を卒業しています。
明星学園は「個性尊重」「自由な校風」で知られる共学校で、クリエイティブな進路に進む卒業生も多い学校です。
中村獅童さん自身も、学校の100周年記念インタビューで「50歳になって初めて車で母校に来た」と当時を振り返り、通学ルートやキャンパスへの思い出を懐かしそうに語っています。
歌舞伎の名門に生まれながらも、一般的な共学校で青春時代を過ごしたことは、中村獅童さんの人間性を形成する上で大きな影響を与えたと言えるでしょう。
梨園だけに閉じない自由な環境で育ったことが、後の俳優としての幅広い活躍につながっているのかもしれませんね。

日本大学芸術学部演劇学科に進学するも中退を決断
明星学園高校を卒業した中村獅童さんは、1991年に日本大学芸術学部演劇学科に進学しました。
日芸は多くの俳優や演出家を輩出している名門学部で、演劇を専門的に学ぶには最適な環境です。
しかし、中村獅童さんは在学中に本格的に歌舞伎役者の道に進む決意を固め、大学を1年前後で中退したとされています。
大学を中退するほどの強い決意を抱く獅童に、陽子さんも覚悟を決めた。萬屋のひいき筋やご近所を巡り、獅童が出演する公演に来てくれるよう呼びかけ、京都時代(陽子さんは京都の造り酒屋の長女で18才で上京した)の同級生たちにも活動を手伝ってくれないかと頭を下げた。舞台裏で獅童の身の回りの世話をするのは陽子さんだけ。鏡台など重い小道具も担ぎ上げて階段を何度も往復した。
出典:ポストセブン
実は、中村獅童さんは8歳の時にすでに歌舞伎の舞台を踏み、二代目中村獅童を襲名していました。
ただ、父親がすでに歌舞伎界を離れていたため、役に恵まれない時期もあり、大学進学と並行しながら進路に悩んでいたようです。
一部のプロフィールでは「日本大学芸術学部演劇学科卒業」と記載されているものもあり、経歴表記に揺れがある点も興味深いですね。
いずれにしても、大学での学びよりも歌舞伎の世界で生きることを選んだ中村獅童さんの決断は、単なる中退ではなく「覚悟の決断」だったと言えるでしょう。
母の後押しで歌舞伎役者の道へ!大学中退の背景にあった覚悟
中村獅童さんが大学を辞めてまで歌舞伎の道を選んだ背景には、母親の強い後押しがあったと報じられています。
父親が歌舞伎界を離れていたため、息子を歌舞伎役者として育てることは容易ではありませんでした。
それでも母親は、息子の才能と情熱を信じて全力でサポートしたのです。
中村獅童さん自身も、母親の支えがあったからこそ今の自分があると語っています。
大学中退という選択は、一般的には「挫折」と捉えられがちですが、中村獅童さんの場合は「本気で歌舞伎に向き合うための覚悟」だったのです。
その後、中村獅童さんは歌舞伎役者としてだけでなく、映画やドラマでも活躍し、幅広い層から支持される俳優となりました。
2005年には映画「いま、会いにゆきます」で共演した竹内結子さんと結婚し、長男が誕生しましたが、後に離婚。
2015年には一般女性の沙織さんと再婚し、現在は二人の息子にも恵まれています。
息子たちも歌舞伎の初舞台を踏むなど、中村獅童さんの歌舞伎への情熱は次世代にも受け継がれています。
まとめ
中村獅童さんの学歴は、明星学園の一貫校から日本大学芸術学部演劇学科へ進学し、その後中退という経歴です。
名門歌舞伎一門の血筋を引きながらも、自由な校風の学校で育ち、母親の後押しを受けて歌舞伎役者の道を選んだ中村獅童さん。
その決断は、単なる中退ではなく、本気で歌舞伎に向き合うための覚悟の表れでした。
今後も歌舞伎役者として、そして俳優として、中村獅童さんの活躍が楽しみですね!

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