歌舞伎役者として、また俳優としても幅広く活躍する中村獅童さん。
その華やかなキャリアの裏には、特異な家庭環境と両親の献身的なサポートがありました。
父親は元歌舞伎役者でありながら若くして廃業し銀行員に転身、母親は京都出身のお嬢様育ちでありながら梨園の世界で息子を一人で支え続けた人物です。
今回は、中村獅童さんの両親がどのような人物で、どのように息子のキャリアを支えてきたのかを詳しくお伝えします!
中村獅童の父親は元歌舞伎役者で銀行員に転身した初代中村獅童

中村獅童さんの父親は、初代・中村獅童(本名:小川三喜雄)という歌舞伎役者でした。
しかし、若くして歌舞伎界を廃業し、その後は銀行員や映画プロデューサーとして一般社会で働く道を選びました。
梨園の世界では通常、父親が師匠となって息子に芸を教え込むのが常識ですが、獅童さんの場合は父が歌舞伎界を離れていたため、「師匠不在」という異例のスタートを切ることになりました。
それでも父は息子の夢を応援し、「有限会社中村獅童事務所」を立ち上げて会長に就任。
表舞台には立たないものの、裏方として獅童さんの活動を支え続けました。
晩年は胃がんで闘病生活を送り、2008年に79歳でこの世を去りました。
父としての愛情と、元歌舞伎役者としての誇りを持ち続けた人物だったと言えるでしょう。

中村獅童の母親は京都の酒屋出身で萬屋を一人で支えた鬼マネージャー
中村獅童さんの母親は小川陽子さんで、京都・伏見の老舗酒屋に生まれ、同志社の学校に通っていたという「京都育ちのお嬢さん」タイプの女性でした。
梨園とは縁のない一般家庭の出身でありながら、「萬屋の嫁」として夫の実家である梨園の家を切り盛りし、息子の芸能活動や歌舞伎の現場を裏方として支えました。
父が歌舞伎界を退いていたため、梨園的には「父親(師匠)がいない状態」でのスタートとなり、その穴を実務面で埋めたのが母でした。
舞台裏では弟子も付き人もおらず、楽屋の世話や小道具運び、営業的な挨拶回りまで母が一人でこなしていたという証言が複数のメディアで語られています。
まさに「鬼マネージャー」と呼ぶにふさわしい献身ぶりで、息子を支え続けた母は、2013年に心不全で73歳で亡くなりました。
獅童さんにとって、母は最大の理解者であり、最も厳しい師でもあったのです。
師匠不在の二代目を支えた両親の献身と厳しい愛情エピソード
中村獅童さんが大学中退を迷っていた時、「歌舞伎役者を目指すなら覚悟を決めなさい」と後押ししたのは母でした。
この言葉が、獅童さんが日芸を中退し、歌舞伎にフルコミットする決断につながりました。
一方で母は、「父親がいなくてあなたは偽物の歌舞伎役者だから、本物になれるよう努力しなさい」という厳しい言葉も投げかけたことがテレビで明かされています。
獅童は「“父親がいなくてあなたは偽物の歌舞伎役者だから、本物の歌舞伎役者になれるように努力しなさい”みたいなことは言ってましたね」と回顧。「親子なんでなかなか他の方が言いにくいこともはっきり言うわけですよね。なのでまあムカつきますよねえ」と笑ってみせた。
出典:スポニチ
スパルタと献身が同居した親子関係は、獅童さんを「本物の歌舞伎役者」へと成長させる原動力となりました。
父は裏方として事務所を立ち上げて経済的・事務的なサポートを行い、母は現場で息子を支え続ける。
梨園の常識を覆すような家族の形でしたが、だからこそ獅童さんは独自の道を切り開くことができたのでしょう。
まとめ
中村獅童さんの両親は、元歌舞伎役者で銀行員に転身した父・初代中村獅童と、京都の酒屋出身で萬屋を一人で支えた母・小川陽子さんでした。
師匠不在という異例の環境の中、父は裏方として、母は現場で献身的に息子を支え続けました。
厳しくも温かい愛情に包まれて育った獅童さんは、今や歌舞伎界を代表する役者の一人として活躍しています。
両親の絆と献身があったからこそ、今の中村獅童さんがあるのですね。
今後のご活躍が楽しみですね!

コメント